あれを供えていたのは祖母(祖母は明治生まれで、早くして夫を亡くし、シングルマザーとして5人の子どもを育てた)で、我が家の母とはあまり関係が良好ではないこともあって、不思議だったけど子どもながらに聞くのを躊躇っていたものの、ついに高校生のときに聞いてみたところで、勘違いが発覚したというエピソード。
ナスを石と間違い、長年そうだと思ってしまうなんて、思い込みっていうのは恐ろしい。
近視で小学生の時から視力は1.0を下回りつつも、裸眼で過ごしていた若かりし頃。
近くのものはふつうに見える”つもり”でいたので何ら不自由はなかったと感じていたのだけど、案外見えていなかったという(汗)。
米津玄師さんも、最近コンタクトをするようになったけど、以前は見えてなくても平気だったとお話しされていたけど、それわかるわぁと勝手に共感(^^)/